まくなぎの歩行訓練のぼり坂

2022年12月免疫暴走で肺が燃え、いきなり在宅酸素になった。そのヨボヨボリハビリ日記。

1月21日 生きてきた日常の総決算(AIが考えたタイトルで~す)

一昨年、十数年にわたる介護が終わった。

今また新しい介護が始まっている。

 

介護と言っても個人個人が違う。

公的なサービスは介護する側が

考えて利用していかないと

貴方任せでは介護はできない。

 

今、他人事と思っていてもいずれ皆

体力の衰え老いに愕然とするようになるだろう。

 

認知症基本法をご存じだろうか?

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」という法律で、

ざっくり言ってしまうと、認知症の予防、診断、介護など

認知症の人や予防するために老人と共に生きれる社会にしていく

ということで、バリヤフリー、たとえばスマホ決済など対応できない

人たちの社会参加をすすめていこう、というような法律です。

 

昔は、年長者が尊重されていた。古くは年長者は、家族を守るため

国を守るため命を捨てた。その年長者には、年少者は感謝をしていた。

今の日本では信じられないし、タイムスリップのドラマの世界でしかないが

世界では戦争が存在し、このような思想はいまだ世の中に広く存在していると思う。

 

日常生活の中でも年長者は年少の子供相手には、

鉛筆の削り方や、竹馬、キャッチボールなどが

上手で教えてくれるが、反面厳しい爺さん、婆さんがいた。

 

今の老人は、若い世代からみてスマホが使えない。

パソコンがわからない。(会社勤めをしていた頃

帰宅してから、パソコンの電源の落とし方を電話で聞いてきた上司がいた)

鉛筆は使ったことがないし、鉛筆削りで事足りる。竹馬やキャッチボールは

空き地がないし危険。道でサッカーボールを蹴れば民家に飛んでいき面倒。

昔の経験を語る年寄りの出る幕はない。

 

まして、平和で甘えの構造の中で培養されてきたまま年齢を重ねた年長者は、

客観視できない自分の主張ばかりで、過去に厳しく育てられた

経験からか人の言うことを聞かない、理解できない

ただの老害となっていることも多い。

 

若い世代は、子育てで大変だったり、職場でパワハラを受けたりして

存在感を示すために弱い者にストレスのはけ口をもとめ狂気をしめす

奴もいて、オロオロする老人にスマホ決済のやり方を教えてあげるなどという

親切心のある者は少ない。

 

昔と比べて老人は関わり合いになりたくない別世界にいてもらう面倒な存在に

なっている。

 

先の法律の共生社会の実現の社会の中に若い世代がいない。

具体案を示せと言われるかもしれないが、所詮年寄りが

自分たちの将来のために作った法律で、少なくともこの国で

生活する人間の意識改革がなければ変えることはできない。

 

若い世代とて、あなたの身や身内に厳しい現実がやってくるだろう。

マスメディアの解釈や誘導、説明や結論まで

入ってしまうと行動まで管理されてしまうことを

覚えておかねばならない。

 

いろんなワク組みが崩れていくなかで、

時間だけは刻刻と過ぎていく。

 

物価や政治、国のあり方と同じで

気が付くまでは、平和で安穏だが、

その時に後悔やあらんずらん。

 

自意識過剰の日常が老いて現れて

机上の解釈で貴方任せで

老いても見栄や体裁が凄い老人は

老害にしかならなず、

現実の尻ぬぐいをそれぞれ人がやらねばならない。

 

上り坂の決意と覚悟がなければ

生きてきた日常の総決算を

することはできない。

 

若い人の意見を聞くのは基本か。

 

と言っても、ふざけた奴らの意見は聞けない。

年寄りを守る。人間を守る。

ふざけた奴らは糾弾していく。